ぐりふの隠れきっていない隠れ家

毒ガスの遺構を見に行こう
  • その1
  • 2016年11月23日

    香淀の大銀杏を見に行くかと去年から思ってたんですけど、
    なんか天気も微妙そうだしなんかアレ系も多いとニュースで見たので直前で予定を変更して大久野島へと変更

    忠海駅

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    駅舎

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    駅名標

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    広島方面

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    三原方面


    駅から歩いて船の乗り場へ

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    ここに来て気づいたのが、ここから大三島へ行けるという事に驚きました
    大三島は行きたい島なのですが、しまなみ海道経由じゃないと行けないと思っていたのでここから船で行けるというのはかなりの大発見。 にうかれつつも、乗船券を購入し、いざ乗船…する前の行列人数が凄い…人多すぎじゃ…ほぼ満席でしたよ(==;

    大久野島に到着

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    人が多いこと…多いこと…船室から最後に出たんですが大三島へは数人程度という感じでした
    大久野島で降りた人は早速うさぎ見つけてる度に群がってましたが、僕は兎には全く興味ないのでさっさと遺構散策へ

    まずは毒ガス資料館から

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    毒ガス資料館


    大久野島は昭和2年に陸軍の管理下となって昭和4年~昭和20年まで毒ガスの製造が行われていて、 戦時中は軍事秘密として重要な島とされて戦時中は地図から大久野島が消されていた島。 当時の作業は相当過酷な作業で毒物による後遺症が出ている方たちも居ます。(毒ガス障害者援護という行政の支援もあるくらいです)
    戦後残った毒ガス等は焼却や海洋投棄等されましたが、それでも全て処理出来ているわけでなくその後も防空壕内など見つかったりしています。 この島以外でも製造していた所はあったので各地でも戦後に発見されたり海洋投棄したものが漁で引き上げられてしまうケースもあって、 投棄や埋設したものが本当に大丈夫なのかという話もたまに出てたりしますね

    資料館を見た後は島を周回するようにして遺構を見て回ります。来た道を少し引き返し、幹部用防空壕跡へ

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    幹部用防空壕跡

    広さが高さ約2m、幅約2m、長さ約5mの半地下式のコンクリート製の幹部用の防空壕。一方で従業員用の防空壕は地面に1m程の穴を掘って草木を被せた物という差だったそうです

    毒ガス資料館前を通過してその先にある研究所跡へ

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    研究所跡


    薬品庫や毒ガス製品の管理や機密書類、毒ガスの検査などが行われていた施設跡です

    またまた毒ガス資料館前まで戻り、海岸の方に出て大久野島神社へ

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    大久野島神社

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    拝殿


    拝殿は風雨か劣化によって半壊状態で、立入禁止となっていました
    大久野島神社は1929年に毒ガス工場が開所した際に従業員が社殿を修復して大久野島神社とし、1932年に現在地に遷座しました。 1937年には毒ガス製造による犠牲者の殉職碑が建てられたそうです。 例祭も行われていたようですが、案内板の書き方が全て過去形だったので今は行われていなんでしょうかね

    狛犬さん

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    神社から灯台方面へ進むと砂浜にパックマンの消火栓のような物がある場所

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    医務室跡

    開所時は診療所レベルだったもが後に入院棟なも建てられて本格的な病院へとなりました
    (消火栓は海岸近くから移設したとの事)

    ここからちょっとした丘のような山登りとなり灯台へと向かいます

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    大久野島灯台

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    瀬戸内海


    灯台への道はがけ崩れの危険性があるので足元まで行ける道が立入禁止、残念

    灯台から更に進んで、南部照明所跡

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    南部照明所跡


    明治の芸予要塞時代にサーチライトが置かれていた場所で、島の北部にも同様の照明所跡があります

    照明所跡から休暇村の前の広場に出ると沢山の人、人、人。
    神社~ここまでほぼ人に合わなかったので凄い不思議な感じ、まぁ殆どが兎目当てで来てるので島の遺構とかそういうのにはあまり目が向けられていないのが現状なんですよね。 観光も遺構ではなく兎しか表立って扱われないのがちょっと勿体無い。

    休暇村の建物の裏手にある三軒家毒ガス貯蔵庫跡

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    三軒家毒ガス貯蔵庫跡


    ここは猛毒のびらん性毒ガス「イペリット」が貯蔵されていた場所で、10トンのタンクが題材に置かれて工場から毒液を送る管が繋がっていて直接送り込まれていた場所です。

    海沿いを歩いていると広場やテニスコートがあり、そのテニスコートの中央付近から内陸の方へ歩くとひっそりとある毒ガス貯蔵庫跡へ

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    毒ガス貯蔵庫跡


    現在は建物の半分以上が埋まっているので見えているのは上部のみとなっています。 ここも三軒毒ガス貯蔵庫と同じ1缶10トンのタンクに猛毒の毒液が貯蔵され、ここだけでも80トンの毒液を貯蔵していました。
    じーっと穴を見てると兎が出入りしていたので巣穴化してそうですね

    少し来た道を戻り広場から山の上へと登っていきます

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    野ざらし貯蔵タンク跡


    兎は平地ばかりで少し標高を上げると全く見なくなりました。下にいると人が居て何かくれると学習してるんでしょうな

    しばし山登りをして展望台に到着

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    そして展望台から次に目指すは大久野島への船の中からでも異様な位に目立っていたあの鉄塔

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    の前に中部砲台跡があります

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    中部砲台跡は日露戦争前の1900年頃に旧陸軍によって築かれた砲台の跡で、当時築造された砲台の中で大久野島の砲台は最も完全な姿を残しているそうです。
    大久野島には16門の砲台が設置され、そのうち4門の砲台がここに設置。第一次世界大戦の時に取り外されて前線に送られました。

    山の上という事もあってか、人も居なかったので中部砲台跡を行ったり来たりしながら堪能。そして人が来たので次へと移動です

    で…でかい…

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    中国電力 大三島支線の送電鉄塔


    この鉄塔は現時点で日本で一番高い送電鉄塔であり、高さ226m。 海を挟んで対岸からの鉄塔との距離は2kmを超えていて1本あたり10トン超のケーブルを6本も支えています。 ケーブルも海風の振動や塩害による腐食を防ぐ為に特別製で、防食油を塗る重防食を施しているそうですが時間経過で効果も落ちるので定期的に塗り替えも行われています。
    規模が凄いのでなんかメンテナンスのイメージが掴めないんですけど、とりあえず凄すぎて有難うございますしか出てこない…

    さらに近くにある大崎火力線には高さ223mの日本で二番目に高い送電鉄塔もあります。 ちなみに、大崎火力線の鉄塔が出来るまでは九州にある苓北火力線の195mの送電鉄塔が二番目の高さでした。

    鉄塔の威圧感というか異世界の様な感じは船から見た時が一番強かったので足元からよりも島外から見るほうが面白く見えるかもしれないですね。 見上げすぎてたら首が痛くなってしまいましたが、満足するぐらい見上げた後はちょっとした尾根歩きな感じで急な階段を降りていきます。

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    北部砲台

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    北部砲台は日露戦争の開戦前の1902年に設置された芸予要塞の大久野島保塁北部砲台です。

    北部砲台から西側の海岸沿いにある長浦毒ガス貯蔵庫跡へ

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    長浦毒ガス貯蔵庫跡


    毒ガス貯蔵庫で終戦後に連合軍の指示で処分する際に火炎放射器を使用して焼却した際の焼けた跡が黒くコンクリートに残っています。 貯蔵庫として使用されていた時は建物の前に3~4mの小さい山を築いてコンクリートを迷彩色で塗装されていたようです。
    この貯蔵庫跡ですが、高さも奥行きも実際に見ると予想していたよりも高さと奥行きがあって驚きでした

    再び北部砲台方面へ進みさらに南へ歩いて脇道に入って火薬庫跡へ

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    火薬庫跡

    芸予要塞時代に島内にあった砲台の弾薬や火薬を保管してい煉瓦造りの倉庫で、 戦時中の毒ガス工場が稼働していた時は化学兵器の製品置場として使われ、朝鮮戦争時にはアメリカ軍が弾薬庫としても使っていました

    舗装路を下って登って、南部砲台跡に到着

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    南部砲台跡

    当時、南部砲台跡には八門の大砲が置かれていて、そのうち四門の砲台跡が残っています
    南部砲台跡でまともな休憩を取って、ここへの道中にもちらっと見えた最後の目的地、発電所跡へ

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    発電所跡

    毒ガス製造の際に使用する電力を供給していた発電所で、ディーゼル発電機が8基設置されていました。 また、「ふ号作戦」に使用する風船爆弾の風船を膨らませたり、補修する作業も行われていたそうです。

    発電所からフェリー乗り場に戻って大久野島の毒ガス遺構巡りは終了
    この小さな島に遺構もしっかり残ってるのに兎ばかり注目されてるのは勿体無いなと。 負の遺産だから公にしたくないのだろうかって思ってしまうけど、こういう事があった事実は知ってもらうべきだと思うんですがね…

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