ぐりふの隠れきっていない隠れ家

福岡の社寺と熊本城(その1)
  • その1
  • その2
  • 2017年03月04日

    2014年10月に宗像大社に参拝した際は拝殿等が改修中で、改修後の姿を見にまた参拝に来ようと決めていてようやく行ってきました。
    当時と同じルートで、宗像大社に到着

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    参道

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    拝殿


    本殿は天正6年(1578年)に大宮司宗像氏貞が再建、拝殿は天正18年(1590年)に筑前領主 小早川隆景が再建されました。 本殿と拝殿は国指定重要文化財となっています。

    参拝後、前回参拝した時には立ち寄らなかった神宝館へ。
    少し参道から脇道にそれるようにあるせいか参拝時間の問題なのか僕以外に訪れてる人が居なかったので静かにゆっくり展示を見て回れました。
    (大半が国宝…国宝の文字を見すぎて重文がレアに感じるなんかもう…)

    大島の中津宮は前回参拝と島内散策をしてるので今回の宗像大社参拝は辺津宮で終わりで東郷駅へ戻ります。東郷駅からはJRで香椎神宮駅へ

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    香椎神宮駅


    駅名からもうどこへ行くかバレバレですが、香椎神宮駅から香椎宮へと向かいます

    程なくして香椎宮に到着

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    勅使道を沿いの鳥居

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    楼門前の鳥居

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    楼門


    楼門の先には狛犬さん

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    狛犬さんの先に進むと、御神木の「綾杉」があります

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    綾杉

    綾杉は神功皇后が三韓より期間のされた際に剣、鉾、杖のの三種の宝を埋め、鎧の袖に挿していた杉枝を植えたものが成長したもの。

    綾杉の北側には中門があり、その先が香椎宮の拝殿と本殿になります

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    中門

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    拝殿

    御祭神は
    主神:仲哀天皇、神功皇后
    配祀:応神天皇、住吉大神

    仲哀天皇が仲哀天皇八年(199年)に熊襲平定の為に筑紫に下り、橿日宮を営まれました。 翌年の仲哀天皇九年(200年)に崩御され、その碁石を継いだ神功皇后が自ら祠を建て仲哀天皇の御神霊を祀られたのが始まりです。 神功皇后の宮は元正天皇の723年に皇后御自身の御神託により 朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め聖武天皇の724年に竣工したもので、此の両宮を併せて香椎廟と称しました。 明治以来には官幣大社香椎宮と称され、戦後は香椎宮となっています
    本殿は香椎造という造りで、現在の本殿は1801年に第十代福岡藩主の黒田斉清によって再建され国指定重要文化財にも指定されています。 また、香椎宮は全国16社ある勅祭を行う神社で香椎宮は10年に一度、勅祭が行われています。

    参拝後、香椎宮の拝殿の横に鎮座している武内神社へ

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    武内神社の鳥居

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    武内神社

    御祭神:大臣武内宿祢命
    300年の長寿を保ち五朝に仕えたと言われる大臣武内宿祢命が祀られています

    続いて綾杉の側にある鶏石神社

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    鶏石神社

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    御祭神は不明
    御神徳は修理固成、五徳向上、養鶏、育児夜泣き
    江戸時代の書物に、その死を憐れんだ僧侶によって石になった鶏が祠に祀られた事が起源と伝えられています

    鶏石神社のとなりに鎮座している稲荷神社

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    稲荷神社

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    御祭神:保食大神
    香椎宮の創始と共に香椎の地に鎮座し、明治15年に現在の場所に遷座しました

    続いて拝殿の奥、

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    巻尾神社

    御祭神:中臣烏賊津大連命
    仲哀天皇・神功皇后に使えた五大臣の1人、中臣烏賊津大連を祀る神社

    巻尾神社から更に進み、一旦境内の外へ

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    ここから出てそのまま進むと古宮があります

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    古宮

    古宮は、仲哀天皇が熊襲平定の為に下向されたときの行宮「橿日宮」の地で、仲哀天皇の御神霊を祀った廟が建てられていた香椎宮の起源の地。 入口正面には香椎の地名の由来となった棺掛椎、奥には橿日宮の跡を示す石碑があります。

    古宮からさらに先に進み住宅街を抜け、飛地境内となる不老水へ

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    霊泉 不老水

    不老水は先程、香椎宮で参拝した武内神社の御祭神となっている武内宿禰が掘ったと伝えられる霊泉です
    香椎宮に戻り、再び境内を見て回ってから勅使道を挟んですぐ向かいにある香椎宮の末社、朽瀬神社に参拝

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    朽瀬神社

    こちらは武内宿祢の子である羽田八代宿禰が祀られています

    お次は勅使道を歩いて海の方へと向かいます。
    勅使道は頓宮から続く香椎宮の参道で元々は神の道として神幸式のみに使用されていましたが、現在は楠並木道として整備されています。
    勅使道を歩いて行くと一ノ鳥居があり、鹿児島本線の踏切手前に線香椎宮の社号標があります。昔はこの付近まで海だったそうで一ノ鳥居は浜鳥居とも言われていたそうです。
    その鳥居と社号標の間にある山側へ続く道に入り少し登ると香椎宮の頓宮の鳥居、そして社殿へと参道が続いて

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    頓宮の鳥居

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    頓宮

    香椎宮の頓宮は御神幸の御旅所でもあり、中世以降に荒廃して社殿も無くなりましたが明治6年に御神幸式が復活して明治40年に社が再建されました

    頓宮を後にして、鹿児島本線、西鉄貝塚線を横切りその先にある国道3号線との交差点にも香椎宮の社号標があったのですが、 歩道橋の具合でカメラで撮りづらくて歩道橋渡る時に途中で撮ればいいやとか思ってたら完全に撮り忘れてました…まぁ仕方ない…
    福岡都市高速と交差してる所までくればすぐそこが香椎浜(ここへは某大型ショッピングモールを目指したら迷うことはないですね)

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    香椎宮の鳥居

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    鳥居から海側


    この鳥居から海側、海上に御島神社が鎮座してます

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    海上の鳥居

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    御島神社

    御祭神:綿津見神
    神功皇后が御渡海に際し、神々の神教の当否を占われたと伝わる聖地とされています

    香椎浜から再び歩いてもう1箇所、名島城跡近くにある神功皇后にまつわる場所へ

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    「名島城址は左」ってなってますが、鳥居の扁額が名島神社だったのでそのまま鳥居を潜り、進むと名島神社に到着。 神社の裏手のようで表に回ろうと歩いてたら先に城址への道があったので先に城址を見に行きました。

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    名島城跡

    名島城は立花鑑載が天文年間に立花城の出城として築造したといわれ、小早川隆景と秀秋が改修し居城としていて黒田長政へと移り長政によって廃城、現在は名島城址公園として整備され市内を一望することも出来ます。 公園に東屋があったので神社に戻る前にあまり休まずに歩いてきてたのでここで少し休憩して参拝へ

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    名島神社

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    狛犬の代わりの魚の石造

    御祭神は宗像三女神の市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命
    神功皇后が三韓遠征の時に香椎の西にある黒崎の岬から乗船。この時に諸軍勢各々その郷名姓名などを名乗って船に乗り、 その頃からこの地を名嶋と言うようになり、神功皇后が帰還した時にこの地に上陸し宗像三女神を勧請して祠を建てたのが始まりです

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    石鳥居


    神社の参道は海と繋ぐようにあり、海の側には石鳥居が建てられていました。ここから少し歩いて帆柱石へ

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    帆柱石

    帆柱石は神功皇后が三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったと伝わる桂化木です。
    それにしても、ここだけ妙に海水が綺麗…奥に見える砂浜のところはよくある海水って感じだったし…

    帆柱石で香椎での予定は完了。兜塚とか濱男神社とか回れてない所が色々とあるんですが、もう一社どうしても参拝しておきたい神社があるので千早駅へ、そこから西鉄と地下鉄を乗り継いで箱崎へ向かいます。 地下鉄の箱崎宮前駅は筥崎宮の参道沿へ出れるのですが、参道に出たらなんか人が多くて祭事でもしてて賑わってるのなぁ…祭事の時期は外してるはずなのに…と思ったら、すぐ近くがシルクドソレイユの公演場になってた為に人が多いだけでした。 それを横目にまずは海側の大鳥居の方へ、そして大鳥居抜けて国道を渡り更に海側にあるお潮井浜へ

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    お潮井浜

    年に二回、春分の日と秋分の日に一番近い戊の日に、お潮井取りという祭事が行われる浜
    お潮井取りで取られた砂は清めの砂として持ち帰って災難除けや、田畑に撒いて豊作を願う事等に使われ、このお潮井取りで取られた砂は境内の方で通年授かることが出来ます。
    先程の公演の関係で浜までの参道周辺は臨時の駐車場として使用されていました。 お潮井浜はお潮井取りとかの祭事の時にしか入れないと思っていたのですが、筥崎宮の開門時間内だったら入れるのかそれとも臨時駐車場の関係で開放されているのかどうなんでしょう、 もし後者だとしたらほんとありがたいですけど、、

    お潮井浜を見た後、いざ筥崎宮へ

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    大鳥居

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    二之鳥居

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    一之鳥居


    一之鳥居は1609年に藩主の黒田長政が建立した鳥居で柱が三段に切れていて、 笠木島木は1つの石材で造られ先端が反り上がる形状。そして貫と笠木の長さが同じという筥崎鳥居とも呼ばれる鳥居

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    楼門

    楼門は1594年に筑前領主の小早川隆景が建立
    敵国降伏の宸筆は縦横約18センチで全部で三十七葉あり、扁額に掲げられているものは楼門を造営した際に亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したもの。
    楼門の先に拝殿と本殿がありますが、一般で参拝できるのは楼門まで。

    御祭神:応神天皇、神功皇后、玉依姫命
    箱崎八幡宮ともいわれ、日本三大八幡にも数えられているお宮です
    創建時期は諸説あり921年に醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に社殿を建立。923年に筑前大分宮より遷座されたといわれ、現在の本殿と拝殿は1546年に大宰大弐義隆が建立したものになります。
    鎌倉中期の蒙古襲来の際に神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名で、足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉などの武将も参詣されています。

    楼門の前にある箱崎の地名の由来となった御神木の筥松

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    御神木「筥松」

    応神天皇がお生まれになった時の御胞衣を箱に入れ、この地に納めたしるしとして植えられた松。
    この辺りは津ヶ浦と呼ばれていましたが、箱を納めた事から箱崎と呼ぶようになったそうです

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    湧出石

    天変地異を占った石で、国に一大事がある時に地上に姿をあらわすという言い伝えや、この石を撫でると運が湧くとも言われています

    西門の方から本殿の裏側にある西末社、東末社へ

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    西末社

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    西末社の社

    右から龍王社、若宮殿、仲哀殿、嚴島殿、民潤社

    そして西末社の狛犬さん

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    やや西末社の狛犬さんがストライクしたのでじっくりと見て眺めてからの東末社

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    東末社

    右から池島殿、武内社、乙子宮、住吉殿、稲荷社

    東末社の狛犬さん

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    もう一度西末社の狛犬さんをじっくり堪能してから筥崎宮の参拝終了

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    参道

    筥崎宮の参道は海まで一直線で鳥居も間隔もいい感じなので時間帯とタイミング次第ではすごい良い風景になりそうですね

    筥崎宮から歩いてJR箱崎駅

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    箱崎駅


    この次は筥崎宮の元宮となる大分八幡宮へと予定していましたが案の定、時間切れ…
    まぁ時間切れになるのも予定のうちなので、また改めて参拝です。なので箱崎駅からは鉄路で遠回りしながら、ホテルへ向かって1日目終了

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